1936年(昭和11年)、高松市東山崎町にて開業した「たからまんぢう」。祖父、父の代と長く地域に根ざしてきた。現社長である3代目が1993年(平成5年)に京都での修業を終えて帰郷。1997年(平成9年)同場所に新店舗を構えた頃から「いちご大福」が広く注目されるようになり、噂を聞きつけ遠くからもお客様が訪れるように。工場・店舗ともに手狭になり、2006年(平成18年)には現在の春日町本店へと移転オープンした。平日でも大勢のお客様で賑わう繁盛店となるまでの躍進劇について、代表取締役社長・濱田浩二さんにお話を伺った。
一つひとつ素材を追求し手間を惜しまない姿勢
今や県内はもとより県外でも多くの人に知られている「たから」の「いちご大福」。みずみずしいいちごを程よい甘さの餡(あん)となめらかな餅で包んだ「夢菓房たから」の代名詞とも言える存在だ。
この「いちご大福」が生まれたのは、3代目である濱田浩二さんが京都での修業を終えて帰ってきた翌年のこと。当時は父母と家族3人で営んでいたが、修行先で専門的な技術から生まれる味と見た目、レベルの高いお菓子を見てきた浩二さんは、10年後の生き残りを考えるように。まず修業先でそうしてきたように、こし餡や白餡を自家製に変更することにした。餡づくりは設備も必要になる上、かなりの労力がかかるため、製餡から手がける店舗は少なく、「たから」も創業時からつぶ餡は店舗で炊いていたものの、こし餡や白餡は仕入れていた。「大変だから長続きしないよ」とも言われたが、だからこそ価値があると感じた浩二さん。「つぶ餡、こし餡、白餡。どの餡にもその餡にあわせた素材と炊き方があります。自家製餡に切り替えることで素材を一つひとつ吟味でき、納得のいく炊き方ができる。それこそが価値につながると考えた」。ちょうど中古の製餡機が手に入ったこともあり、自家製餡へと切り替えた。
先見の明と専門性で生み出した看板商品
「首都圏などでいちご大福がつくられるようになったのは昭和60年代。私が修業していた頃には、修先である京都の和菓子店「与楽」でも大ヒットしていたんです。香川に帰ったら、いちご大福を商品化しようと、京都でもさまざまな店を食べ歩いて、理想のいちご大福をイメージしていました」。自家製餡に切り替えたことで、いちご大福にピッタリの餡をつくることができ、また浩二さんが戻るまでは洋菓子も手がけていたことから、お菓子に適したいちごも手に入る。そんな環境から1994年(平成6年)「いちご大福」は誕生した。とはいえ、その頃は和菓子店の季節商品の一つでしかなかったという。
だが、3年後の1997年(平成9年)、店舗改装と同時に状況は一変。手狭になった店舗を建て替えることになり、アルバイトに来ていた美大生に新装オープンの告知を依頼したところ「いちご大福」も合わせてPR。すると、それをきっかけに遠方のお客様にも次々と訪れてくれるようになった。さらに人気を後押ししたのが「すもも大福」をはじめとする「フルーツ大福」だった。バリエーション豊富なフルーツ大福はいずれも人気となり、現在では季節限定合わせて30種類を超えているという。
いずれもわざわざ訪れて食べたくなる魅力あり
いい素材を使うこと、そして心を込めること
一方で、またたく間に人気店となったことから駐車場の確保と工場スペースの拡張が必要な状況となった。「移転までは考えていなかった」というが、お客様が増えれば増えるほど課題は大きくなってきた。東山崎町の店舗周辺で土地を探したものの、ちょうど良い場所が見つからない。そんな中で出会ったのが、現在の高松市春日町本店が建つ土地。あまりの広さに一度は躊躇したものの移転を決意し、2006年(平成18年)オープンした。
それから18年。スタッフはパートアルバイトを合わせて83人になった。春日店は2度の改装による拡張を行い、平成21年には春日町本店の横に位置する自社農園でぶどう栽培もスタートした。毎月のように新商品を手がけ、最近では時代にあわせ機能性表示食品の認定を受けた商品も開発している。その裏には、素材の吟味と製法へのこだわりという、菓子づくりに没頭した若き修業時代に師匠から学んだ教えを今も実直に受け継ぐ、浩二さんの姿勢がある。「どうしてもあのお菓子が食べたいと思って遠方からでも来てもらえるように」。伝統を大切に守りつつ、一つひとつ手の温もりとともに常に新しい驚きを届けてくれる「たから」の和菓子は、時代に合わせてこれからも進化し続ける。
株式会社 夢菓房たから
会社概要
所在地 | 香川県高松市春日町214 |
電話 | 087-844-8801 |
URL | https://e-takara.jp/ |